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『三原有三』佐藤信介監督
佐藤監督とは学生のころから一緒に作品を撮っていた。『三原有三』はストーリーものとしてはかれこれ
10本目に当たる。佐藤監督は脚本段階で練りに練られた登場人物達の会話をフィックスショットの丹念なカ
ットバックにより一度バラバラに分解し、編集段階で新たにその会話を映画的な時間に再構築してゆくスタ
イルを学生時代より築き上げてきた。登場人物達は固定されたフレーム中を出入りし、まるで振り付けられ
たような動きの中で会話が進行してゆく。それでも役者の芝居は常に自然さを保つ。今回は多分にサスペン
ス的な要素を取り入れているが、そのスタイルは基本的に変わりはなかった。今回は2ショットのフレーム
アウト、フレームインによるカットの連鎖が前半部の基本的なスタイルになった。佐藤監督の場合は殆どそ
うだが、人物がバストショット以上の寄りサイズになることは殆どない。それは背景のごまかしが利かなく
なるということでもあり、約6畳の部屋の360度どこにキャメラが向けられてもいい状態を作り出さなけれ
ばならず、それに応じたライティングを考え出さなければならない。如何にブロックプランが低予算、1日
による撮影を掲げてはいても、それが監督のスタイルを壊してしまうものであってはならない(でもその立
案者は監督である佐藤自身なのだ!)。そんなわけで、『三原有三』はブロックプラン2作目にして早くも
予算、日程を超過することになってしまった。
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今回は狭い室内のため引き尻が無く、ワイドコンバージョンレンズ(以下ワイコン)を多用したが、これ
については問題があった。(今回使用したVXー1000には2タイプのワイコンが装着可能。通
常のワイドコ ンバージョンとフィッシュアイコンバージョン。フィッシュアイはゆがみが顕著に出る。『三原有三』では
前者を使用)まず人物のゆがみがあらわになってしまうことがあり、これにはかなり苦しめられた。それを
スタイルとして用いる場合を省いて(『脚本療法』では会議室の無意味な広さをワイコンを使用することに
よって誇張して見せている)、人物のゆがみはやはり美しく無く、狭い場所であることをかえって観ている
人に意識させてしまう。狭い場所=ワイコンというのはあまりにも短絡的な考えだと思う。ワイコン装着
時、人物のゆがみが気にならない程度にするにはキャメラから少なくとも6フィートは離れなくてはなら
ず、それは6畳の部屋ではかなり無理がある。もっとも広大な自然の風景に対しては非常に有効に使うこと
ができる。部屋のような直線的な人工物に対し自然の造形は不規則で、ゆがみが視覚的に影響を及ぼすこと
がないからだ。またワイコンはあくまでもコンバージョンレンズであり、単体の広角レンズではないため、
レンズ前にかけるフィルターのような働きをしてしまう。ちょっとした光源の光がすぐにハレーションやフ
レアーとなり映像の鮮明さを欠いてしまう。今回はプラクティカルライティングを基本にしていたため、フ
レーム内に光源自体を映し込むことが多く、悩まされた。このワイコン独特のフレアーを好んで使う人もい
るが、私個人としてはどうしても気になってしまう。後でも述べるが、レンズの選択(通
常フィルム撮影の 場合はレンズの選択は、どのキャメラを使うかよりも重要で、それによって映像の雰囲気をどのようにして
いくかを決める最も重要な要素である)ができない一体形のDVはストーリーを撮るときにはかなり問題だと思う。
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当初、ライティングに関しては窓からの外光をキーライトにしていこうと決めていた。ロケハン時の光量
不足を頭に入れて、窓外にライトをセットしようと考えていたのだが、撮影当日はまたも雨(『三原有三』
は『脚本療法』の翌日にほぼ同じスタッフで撮影している)。ライトをセットしても補えないほどの光量
不 足となってしまった。脚本では昼から夕方にかけての話だったのだが、急遽設定を夜に変更。佐藤監督はこ
のような不測の事態を逆にストーリーに上手く取り入れていく。作品冒頭の雨音の効果
的な使い方を始め、 それらの変更は作品をより良くしていく結果にもなっている。こうした演出サイドの機敏な対応に比べて、
撮影は後手後手に回ってしまった。一度決めていたデイシーンのライティングを一八〇度方向転換すること
に戸惑ってしまったからだ(この最初のつまずきが撮影時間の遅れの原因でもある)。しかしガファーを勤
めてくれた三宅隆太の提案により、部屋にあるありものの電飾をそのまま照明として取り入れることにし
た。つまりプラクティカルライティングである。前述したとおり、人物はフレームイン、フレームアウトを
くり返しながら部屋の中を動き回り会話を進行させるため、そのときどきによって近くにある電飾がキーラ
イトとなる。どうしても暗くなってしまうところは、一番明るい電飾からの漏れという設定でカポックにバ
ウンスさせた500wで補い、全体のおさえにした。電飾の明かりなので色温度は2900〜3000°kぐらいに
設定したが心配していた赤色のにじみもそれほど無く、ぎりぎり0デシベルでのDVに於けるプラクティカル
ライティングのデータを調べる上でもかなり参考になった(ビデオのゲインはフィルムに於ける感度設定に
値する。ゲイン数値が高くなればなるほど映像の質は下がっていき、粒子が目立ってくる。ブロックプラン
で撮影を担当した3作品は、『なくしもの』で意図的に画像を荒らしたとき以外0デシベルで通
している)。 またプラクティカルライティングにしたことにより、最初に考えていた窓からキーライトを取るプランより
もキャメラポジションの範囲が広がったことも良かった。佐藤監督の場合、照明的な理由でキャメラポジシ
ョンの範囲が狭くなることは基本的に許されないからだ。難点だったのは低照度下での暗部の再現性がない
ために、前半部でコントラストがつきすぎてしまい、サスペンスチックな後半部との差別
化が曖昧になって しまったことだ。正面からのフィルライト(キーライトに対するおさえのライト)はしないことにしていた
のだが、電飾に合わせた100w又は40wをディマー(調光機)接続して、カポックボックスなどでぎりぎり
のラインでおさえてみれば、フラットになりすぎずによい結果が得られたかも知れない。後半部の地下室の
シークエンスでは、画面の8割を暗部にする画面構成にし、人物が出てくるところでは机上の蛍光灯という
設定で、蛍光灯をブルートーンにして暗部をやや下手から補うようにした。コントラストをつけるだけつけ
る方向でいったこれらのシークエンスではDVの性能が十分に発揮されていると思う。
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また、vx-1000のもう一つの問題点としてsonyが開発したピントリングがある。vx-1000は民生機とし
て作られているため、オートフォーカス対応になっていて、レンズ上ではピントの目盛が確認できず、リン
グは永久的に回り続ける(同じくsonyのDVカム対応vx-9000も同構造)。これではストーリーを撮影して
いる場合に意図して行うピント送りなどに支障をきたしてしまう。現に物語の中盤、人物が手に持った小さ
なキューピー人形から本人の顔へのピント送りは何テイクも重ねることになってしまった。これはsonyの
Hi8ビデオカメラv-900から取り入れられており、v-900の形状がほぼ同じで、Hi8の部分がDVに変わった
だけとも言えるVX-1000にはそのまま採用されている。V-900以前のV-800、700までには簡易的ではあ
るが目盛を振った通常レンズに手動ズームが付いている。レンズ内の手ぶれ補正機能が開発されたためこの
ようなことになったと思われるが、はなはだ使い勝手が悪く、これは今後メーカーに改良を願いたい。

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