手塚治虫のマンガの描き方
(講談社)
天才漫画家 手塚治虫氏が書いた、今となっては隠れた名著。
テクニックに関することだけでなく、メンタルな部分についても積極的に言及。プロからアマチュア、全くのシロウトさんまで読んで損ナシ。原点。
毎月踏んだり蹴ったり。
ご苦労様です。
「好きにしろ」
と言われたので・・・
とりあえずペン大王を
撃ってみました。
復活 そして 混迷

よくよく冷静に考えてみれば、まぁ、自分自身がよくわからなくなる、というのはモノを作っていればよくあることで、乗り越えなければいけないことではある。自分自身わけわかんなくなったって、わけわかんなくなってる自分というのはやっぱりここにいるわけ。そして、その自分のために自分は生きているんだろう。手塚さんはそのわけわかんない状況に身を投じつつ、決して自分を見失わなかったから、すごい。特にアトムのモデルは手塚さん自身だからね。思い入れも人一倍だったろう。
今目の前にある状況を受け入れ、楽しむのだ。楽しんだことを一人でも多くの人に伝えるのだ。うーん、大人になったな、オレも。
一人で悦に入っている横で、包帯グルグル巻きのペン大王。
「ノリツグ、強く殴りすぎだよぅ」
ペン大王の言葉は無視。
「ペン大王。やっぱりオレはギャグをやりたい。それもクールでウィットに富んだギャグだ。映画は腐るほど観た。それはもう、おすぎ以上だ。淀川には負けるかもしれねぇけど。でも、どうやってユキダルマッチョに反映させていいのかわからない。教えてくれ」
「映画は無理にしても、オマエには紙とペン、そしてコンピューターという道具がある」
ペン大王はそこまで言うと、バイブルをオレに手渡す。
「121ページを開いてみろ」

四コママンガは、マンガのスジ立ての基本である。練習するしないで、実力もまったく違ってくる。
ぼくも終戦直後マンガをはじめたころ、四コママンガの勉強はずいぶんしたものです。このころは、長編マンガを発表できるところがなくて、しかたなく四コマを描いていたのだが、このことはあとになって、よい経験となった。
現在、ストーリーマンガ家として活躍している人も、ほとんどが四コマものの経験者である。石ノ森章太郎、つのだじろう、藤子不二雄、赤塚不二夫、みんな四コマから育ったのだ。こういう人たちは、成人ものも子ども向けも、絵本でも劇画でも描くことができる。器用だからというのではなしに、四コママンガがみっちりと基礎をつくったからなのだ。(121ページ)


なななんと。素晴らしき先達たちは、皆四コマを描いていたのか。知らなかった。四コマなど新聞の端で紙面のお茶を濁す程度のものだと思っていた。よし。いっちょオレの考えたギャグをマンガにしてみよう。


「正義の味方も喉が渇く」の巻


「できたよ。ペン大王」
「・・・五コマじゃん、コレ・・・ちゃんとバイブル読んだの? ねぇ・・・」
「え? え? あれ? おっかしいなぁ・・・」
「おかしいな、ってどう見ても五コマだし、笑えないよ、コレ。それに、ユキダルマッチョが正義の味方じゃなくなっちゃってるじゃん」
「うーん。ピッタリ四コマでまとめるって難しいですね。ピッタリ429コマだったらまとめる自信あるんですけどね」
「そっちのほうが難しいと思うんだけど・・・。やっぱりコイツ、バカなのかな」
「何か言いました?」
「このままだと強盗殺人とか犯しかねないしな・・・このへんで引導渡してやるか」
無言ですっくと立ち上がるペン大王。腰巻きの中から何やらごそごそと取り出すと、床の上にゴトンと置いた。マグナム??
「好きにしろ。もう面倒見きれん」
そう言い残すと立ち去ろうとする。じっと手の中のマグナムを見つめる。うーん。完全にバカにされてるね、オレ。