手塚治虫の
    マンガの描き方
(講談社)
天才漫画家 手塚治虫氏が書いた、今となっては隠れた名著。
テクニックに関することだけでなく、メンタルな部分についても積極的に言及。プロからアマチュア、全くのシロウトさんまで読んで損ナシ。原点。
バイブル 手渡される

「とりあえず半年。この本にならって生活しなさい」
そう言って手渡された一冊の本。その名も『手塚治虫のマンガの描き方』
「あ。これ、オサムシじゃないっすか」
「左様。今の日本人で知らない人はいないであろう天才漫画家手塚治虫だ。この本にはマンガの極意が描かれている。キャラクターの創造にも必ず役に立つはずだ」
「でも、手塚治虫ってタダの漫画家でしょ? ホントに役に立つんですかねぇ」
「ムリして読まなくてもいいよ。他の人に頼むから」
「あ。ウソです。読みます読みます」
仕方なく本をめくってみる。表紙の折り返しの部分。本文から引用された一文が載っている。

どんなにつたなくとも、ぎこちなくとも、おかあさんがわが子に描いてやる絵には、かぎりない愛がある。
「ママ、ワンワン描いて」とねだられて、一生懸命描きあげたおかあさんの絵には、子どもの絵と同じく千金の価値がある。


その一文を読み、オレは目を閉じた。思い出す。ガキの頃。全く同じだった。
オレはお袋に「ワンワン描いて」とおねだりしたのだった。「いいよぉ。ワンワン描いてあげるね」そう言ったお袋の描きあげた絵は、どっからどう見ても「牛」だった。
「イヤ、コレ、牛じゃん!」オレは突っ込まなかった。出来上がった絵は牛でも馬でもなんでもよかったのだ。何故なら、紙の上に描かれていたのはお袋の愛だったのだから。それがどんなカタチを伴おうとも、愛の姿にはかわりがないのだから。というか、そういう風に思いこむようにしたんだけどさ。

「いいこと書いてありますね」
「だろ? いいこと言ってんだよなぁ。手塚さんが天国に来てから、オレの立場危ういのよ、マジで。天国じゃ『ペン大王、もうダメだろ。次のキャラクター神は手塚さんだろ』って話題で持ちきりよ。切ないよね、実際」
「でも、まぁ、妥当な人選でしょうね」
「次の人間あたろうかな・・・」
「あ。ウソウソ。ペン大王、大丈夫っすよ。まだまだ現役でイケますって」
「ん。そうか? フフフ・・・」

その顔で照れんな、っつの。
まぁ、とにかく、このバカ神を信じていいのかどうかははなはだ疑問だが、手塚治虫だったら信じてもいいような気になってきた。と言うのも、実はオレは手塚マンガの大ファンなのだ。彼の代表作「ブラックジャック」「火の鳥」その他諸々は穴があくほど読んだし、「奇子」の本とは一緒に眠ったぐらいだ。
手塚治虫は「パンク」だ。絵を通して常に社会と闘ってきた。その生き様はシド・ビシャスより熱かった。そして彼は生涯「ロックンローラー」でもあり続けた。「生と死」という壮大なテーマを描き続けた彼は、自分の激動の人生とは裏腹な、とてもとても静かな眠りについた。彼の死を含めての人生が、彼の描き続けた「生と死」を見事に表していた。その切なさは、彼が日本を代表するロックンローラーであったことを証明している。
世界は続く。しかし、無くなったものはもう戻らない。
「再生する」という概念を持った火の鳥が美しく見えるのは、まわりを愚かな人間に囲まれていたからだろうか。全てを悟っていた聖人でもあり、同時に愚かな人間でもあった手塚治虫は、一体何になりたかったんだろう。
愚かな人間でしかないオレは、素直に有名になりたい。