第I部 そのまえ
PHASE IV 「NOといえる一本」
○ 衣裳合わせ部屋・イメージ(日比野まりの場合)
所狭しとカジュアルな衣裳が並び、衣裳会社の部屋というより原宿あたりにあるブティックのロフトのようだ。スタイリスト、助監督、スクリプターらにはさまれ、ソファに座って見つめる円城寺満。

円城寺満 「もっと動いてみて」

ストリート系のファッションに身を包んだ日比野まりが緊張した面持ちでポーズをとる。決まってはいるが、彼女が着るとどこかシックとなってしまう。

円城寺満 「これはモデルじゃないんだぞ」

次から次へと衣裳を替え、徐々に表情が変わっていく日比野まり。ミクスチャーの音楽に合わせるように無邪気にはしゃぎ、沖縄の海岸で波と戯れていた情景がフラッシュバックする。

○ 同・イメージ(須田明の場合)
同じく、ラフな映画監督といった出で立ちで現れる須田明。さまざまな衣裳に着替えるも、その面影はどこか円城寺満自身とダブってしまう。ロケで羽田空港を飛び立ったときと、那覇空港へ降り立ったときの姿がオーバーラップする。

○ 同・イメージ(山下響子の場合)
そして、やり手のキャリアウーマンというスタイルの山下響子。いくつかの衣裳を着くずしつつも、どことなくサマになる。津村美沙の気質を連想させるごとく、首都高に停めた車のなかで監督役の須田明と濡れ場を演じる。

● ロケセット・寝室(10月9日午後7時)
ベッドでシーツにくるまり泣く女優。ディレクターズ・チェアに座った須田明は腕を組んだまま目を閉じている。付き人らしき女性と山下響子が駆け込んできて、彼女にガウンを羽織らせ、監督以外のスタッフを退室させる。

○ 湾岸道路
疾駆してくるオープンのクーペ。円城寺満の横に日比野まりが乗っている。

○ 稽古場
湾岸の空き倉庫を借りて行われるリハーサル。スウェット姿の鷲尾勇と不破令奈が身体訓練を終えて汗をふく。指導しているのは野々村保をはじめとする助監督チームと、演技講師の仲沢ルイ。壁に小さく日程表が貼り出され、ベッドを模して積み上げられたマットと箱馬があるだけだ。

仲沢ルイ 「日比野さん、遅いわね。もうくじけちゃったのかしら」
野々村保 「まさか。先生が厳しいからといったって、まだ稽古に入って3日目ですよ」
仲沢ルイ 「そういうパターン、多いのよ。円城寺監督とやるとき、最終的に私のやり方は否定されるんだけど、徹底的に基礎をしごかないと気がすまないの」
野々村保 「監督って、ああ見えてすごくハードルが高いですからね」

そこへ鷲尾勇と不破令奈が近寄ってくる。

鷲尾勇 「あのう、このあとの“愛撫”の時間なんですが…」
不破令奈 「もうやり尽くしちゃった感じがして、毎日3回、どうすればいいかと…」
仲沢ルイ 「そんなわけないでしょ。あなたたち、そんな貧相なイマジネーションしか持ってないの。これは監督からとくに念を押された課題じゃない」
野々村保 「ぼくなんか、毎日が妄想の連続なんだけどな」

○ 同・屋外
クーペが稽古場の前に滑り込んできて停まる。しばらくじっとしたままの円城寺と日比野。やがて彼女一人だけ車を降り、入口の奥へ消えていく。

○ 湾岸の空き地
路肩で無造作に停車されたクーペ。遠くに臨海地帯の工場や倉庫が並び、空き地の脇にはホームレスの小屋が密集する。それを見るともなくドアに腕をのせ黙考する円城寺。

○ 稽古場
スウェットに身を包み、仲沢ルイから発声訓練を受ける日比野まり。かたわらで野々村たちが見つめるなか、愛撫しあう鷲尾勇と不破令奈。

○ 撮影所・ステージ
セットの陰でディープキッスをする鷲尾と不破。

○ 同・オープンセット
建物の陰で乳繰り合う須田明と山下響子。

○ 同・ダビングルーム
コンソールに津村美沙が尻をのせ、その太腿に顔をうずめる円城寺満。

○ 円城寺のマンション・玄関(夜)
ビニール傘とボストンバッグを持って玄関に立つ日比野まり

○ 同・寝室(夜)
一人で眠りにつく日比野まり

○ 同・リビングルーム(夜)
ソファでシーツにくるまる円城寺満。

○ 湾岸の空き地
ダッシュボードの携帯電話が鳴る。円城寺はおもむろにそれを取り、津村美沙の声を聞く。白い雲が空をゆっくり流れていく。

電話の声 「また厄介ごとよ。出資者の一つが決定稿に難色を示してるの。それもいちばんクリエイティブに理解があると思ってた出版社。私たちで説得してるんだけど、どうやら監督とじっくり話したがってるようなのね」
円城寺満 「俺が出てったらよけい揉めるんじゃないのか」
電話の声 「儀式みたいなものよ。あなたから直接、話を聞きたいらしいの」
円城寺満 「わかったよ」
電話の声 「じゃあ、今夜ね。また電話するわ」

携帯を助手席に放った円城寺は、再びホームレスの小屋に目をやる。そしてエンジンをかけ、猛烈な勢いで車を発進させる。その向こうに浮かぶ白い雲。

○ 同(十数日後)
撮影部と照明部を中心にキャメラテストが行われる。レンズ、露出、光の具合とともに今日は俳優の表情もチェック。空き地に駐車したワゴン車からパラソルが出され、日比野まりが被写体として借り出される。

柏崎次郎 「(うしろを振り返り)監督、こっちで自由にやってますから、なんかあったら声をかけてください」

クーペの中から手を上げる円城寺満。隣には阿仁屋優がいる。

阿仁屋優 「柏崎さん、このキャメラテスト以外にもルックやトーンのチェックをしてるんだってね」
円城寺満 「そう、彼はいつもポジティブだし、開かれている。新人の役者がいるときは必ず呼ぶようにしている」
阿仁屋優 「日比野まりは、ずいぶん印象が変わったからな」
円城寺満 「どういうふうに?」
阿仁屋優 「やけに素直となって、それだけ奥に秘めたものが大きくなった」
円城寺満 「自信がついてきたんだ。稽古の賜物だろう」
阿仁屋優 「この前、稽古場を覗かせてもらったが、あれはリハーサルなんてものじゃない、まさに稽古だ」

○ 映画会社・会議室
午前中から行われるプロモーション会議。宣伝部員、製作委員会の担当者、そして最後に席についた津村美沙。

橋爪祐輔 「おはようございます。いよいよクランクインを3日後に控え、津村さんからのちほど進捗状況などをお話しいただきますが、今日は宣伝計画とそれぞれの役まわりをチェックしておきたいと思います。詳細はお手元の資料にある通りで、担当の宣伝部長から説明いたします」

ここでドアが開き、受付の女性が頭を下げながら津村のもとへ駆け寄る。彼女は何ごとか聞くと橋爪に耳打ちし、静かに退席する。

■ ファッションビル
北谷町にある6階建てのビル。セレクトショップ、CD&ビデオ店、レストラン、雑貨店などが入り、地下には改装したてのライブハウスがある。車を駐車させた奥間常文は、いったんビルの中へ消え、再び現れて地下の店へ案内する。

奥間常文 「(開店前のVIP席に座ってビールを注文してから)このビルが俺の城だよ。以前はちんけな飲み屋ばっかりで、その前は平屋の市場だった。あいつのお袋も当時は働いてたんじゃねえかな。俺の代になって5年前に大改築したってわけさ。…(ビールを口にし)通のあいだではけっこう評判なんだぜ。"4×4"というバンド、知ってるか。白人のボーカルとギター、黒人のドラム、日系人のベースでやってるんだが、本国のレーベルと契約しそこそこのしてきてるらしい。彼らが最初に演奏したのがこの店で、ハイスクール時代、この土地で暮らしてたんだ。あとでビデオを見せてやるけど、女を世話してやったこともある。ギターの野郎はそのうちの一人に追いかけられ、向こうで所帯をかためたっていう噂だ。…あいつ、こういう話を映画化してくれりゃよかったんだ」

○ 湾岸の空き地
雲一つない青空の下、空き地に乗り入れた円城寺満のクーペ。数日前のキャメラテストがうそのような相変わらずの風景。ドアにもたれた彼は、むしりとった草が掌から舞うのをじっと見つめる。

○ 高台の住宅街
駐車スペースに入れたBMWを降り、足早に闊歩する津村美沙。やがてあるマンションへ入っていく。

○ ウィークリーマンション・玄関の前
管理人を伴い、ドアを開ける津村美沙。

○ 同・部屋の中
だれもおらず、家具や調度に暮らした形跡はほとんどない。ベッドのシーツだけがわずかに乱れ、東京の区分地図が置かれている。窓の外に広がる町並み。

○ フィルムセンター・外観
京橋の交差点近くにあるフィルムセンターの建物。

○ 同・ロビー
まばらな訪問者のなか、開催中の回顧上映のポスターを見まわしながら津村美沙が携帯で話す。

津村美沙 「…そう、宮ちゃんにもまだ連絡がないのね。事故や事件でないとしたらわけがわからないわ。私のほうも完全に行き止まり。“レネとアントニオーニ”という特集をやってるんだけど、彼女らしい人間は来てないようだし、だれかがこれを見ろとでも言ったのかしら。地図に印があったのは撮影所と稽古場、私と監督の自宅、そしてここフィルムセンターだけだから、来るつもりはあったのよ。…とにかく対応を考えましょう。たぶん遅い時間になっちゃうけど、監督には私から伝えておくわ」

● ロケセット・リビングルーム(10月9日午後9時)
撮影機材の置かれたなか、須田明と山下響子がソファに座って向かい合う。彼女はテーブル上に投げ出された台本を手に取り、朱を入れる。須田明は灰皿の上でコンテを燃やす。

○ 撮影所・全景(翌日)
雨に煙る撮影所の棟々。

○ 同・大会議室
入口に置かれた案内板に「円城寺満組『ハックニイド』オールスタッフ会議」とある。すでに全員が揃っている様子だが開始が遅れ、集まった者たちはさまざまな表情を見せはじめる。

○ 同・スタッフルーム
電話回線が外され、ドアは内側から施錠される。険しい顔つきで携帯を耳にやる津村美沙。その奥のソファで円城寺満と宮部幹夫が向かい合う。

宮部幹夫 「…考え直してください、監督。昨夜は代役でいくって決心したわけだし、いま当たりをつけてる最中です。ここで撮影を延期するのは、少々のことならぼくらも頑張って駆けまわりますけど、台本をいちから書き直すなんてすべてをバラすことに等しくなっちゃいます。スタッフ・キャストのスケジュール、もろもろ手配した段取り、それに出資者の出方だってあるじゃないですか。監督の気持ちはわかりますが、億単位のお金の責任、いったいだれがとるんでしょうか。美沙さんの立場もわかってあげてください。ぼくは、個人的な意見ですけれど、日比野まりがいなくなったことをどうやってプラスに転じられるか、この枠組みを壊さないでいかに抜け出すことができるか、そういうチャレンジをしたいと思ってます」

いつのまにか津村美沙が横に立ち、重苦しい沈黙が続く。思いがさまざまに交錯するように、だれもが瀬戸際に立った表情。雨はずっと降りつづける。

円城寺満 「…みんなのところへ行こう。この作品は中止だ」

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