第I部 そのまえ
PHASE II 「いまそこにない危機」
○ 撮影所入口
ワゴン車がゆっくり入ってきて、運転席から警備員に声がかかる。

宮部幹夫 「円城寺組ラインプロデューサーの宮部です。スタッフルームはもう開いてますか」

警備員があわてて鍵を持ってくる。

○ 東名自動車道・上り車線
BMWのハンドルを握る津村美沙と助手席の円城寺満。用賀インターの案内表示が見えてくる。

津村美沙 「撮影所まで送ったら、私は夕方までに戻れるかどうかわからないから、宮ちゃんに電話しとくわよ」
円城寺満 「最初のコンテ会議なんだから、ぜひ顔を出してほしいな。きみがいたほうがみんな盛り上がる」
津村美沙 「そうしたいけど仕方ないわ。配給交渉だって大切でしょ」

○ 撮影所入口
マウンテンバイクに乗った野々村保が猛烈な勢いで駆け込んでくる。

野々村保 「おはようございます。円城寺組チーフ助監督の野々村です。まさか、一番じゃないすよね」

警備員が笑いながらあごで行けと示す。

○ BMW車内

円城寺満 「ところで佐久間の話、その後どうなったんだっけ?」
津村美沙 「できるだけあなたの思うようにしたいけど、一応、脚本を見てもらってるわ」
円城寺満 「へえ、そうなの。で、なんか言ってるわけ?」
津村美沙 「いえ、まだべつに…」

○ 撮影所入口
4WDを運転する美術の貝塚俊彦がやってくる。

貝塚俊彦 「美術の貝塚です。円城寺組のスタッフルームまで車をつけたいんだ」

うなずく警備員。

○ BMW車内

円城寺満 「どうせなら、阿仁屋をホン(脚本)作りに参加させたっていいんだ。やつも昔はそれをめざしてたんだから」
津村美沙 「勝手なこといわないで。彼が聞いたら怒るわよ」
円城寺満 「そうかな、逆に喜ぶかもしれない。俺からいわせれば、佐久間の話もそれくらい突拍子もないということだ」

○ 撮影所入口
バスを降りて歩いてきたキャメラマン柏崎次郎が、首からさげたビューファインダーで周囲を眺める。手を上げ警備員に挨拶しようとしたとき、円城寺のBMWが入ってくる。

円城寺満 「(ドアを開けながら)おはよう、柏さん」
津村美沙 「(その奥から)おはようございます」
柏崎次郎 「おはようっす。なんか、象徴的なツーショットですな」

● 撮影所・試写室(10月9日午後1時)
スクリーンに映るフィルムの切れ端。デイリーのラッシュが終わって明るくなると、メインスタッフが監督を見る。須田明は目を見開いたまま、放心したように前方を見つめている。山下響子が人払いをし、後ろから監督に頬を寄せ、そっと抱きしめる。

○ ホテルの高層階・客室棟
エレベータホールに向かう廊下を、阿仁屋優と映画会社の宣伝マンらしき人間が連れだって歩いてくる。

宣伝マン 「さすがに阿仁屋さん、という感じでしたね。本国でも気むずかし屋で知られる男優をあそこまで喋らせるなんて、映画への並々ならぬ愛情と知識はもちろんですけど、やっぱり勘どころを押さえた、あの切り返しの話術ですよね。ほかの評論家にはなかなか真似できませんよ、あれは」
阿仁屋優 「相性がよかっただけさ」
宣伝マン 「そうですかね、私なんか…」

○ 同・ラウンジ棟
エレベータホールに向かう廊下を、佐久間隆とテレビ局の編成マンらしき人間が連れだって歩いてくる。

編成マン 「まったく、佐久間さんのおかげですよ。実際に脚本家の口から意気込みを聞いてみないことには出演OKできないというんだから、あの女優とマネージャーには苦労させられっぱなしです。まだ来年の放送枠しか決まってないのに、少しはほかの事務所を見習ってほしいよね」
佐久間隆 「ぼくには光栄なことです」
編成マン 「そういってもらえるとありがたい。私なんか…」

○ エレベータホール
二組のグループが鉢合わせをする。

阿仁屋優 「おや、佐久間隆じゃないか」
佐久間隆 「あれ、阿仁屋先輩ですか。ご無沙汰しております」
阿仁屋優 「こちらこそ。たしか数年前、東京映画祭のパーティで会って以来だと思うが、最近はテレビですごい売れっ子のようだね」
佐久間隆 「昔はわけもわからず顔を売っていて、お恥ずかしいかぎりです」
阿仁屋優 「ぼくだって同じようなもんさ。回り道をしてるよ」

そこへ下りのエレベータがやってきて、宣伝マンと編成マンは丁重に頭を下げて戻っていく。

○ 都心のBMW
一人で車を走らせながら映画会社の高層ベルへ向かう津村美沙。カーナビの調子がおかしく苛々している。

○ ホテルのエレベータ内・下り
阿仁屋と佐久間の二人だけである。

阿仁屋優 「よければお茶でも一緒したいところだが…」
佐久間隆 「このあと、新作映画のシナリオ打ち合わせがありまして」
阿仁屋優 「そうか。ぼくもいま円城寺組のルポをやろうとしてて、これからコンテ会議に立ち会う」
佐久間隆 「えっ、ひょっとしてそれ、『ハックニイド』ですか?」
阿仁屋優 「よく知ってるね。…えっ、まさかきみも?」
佐久間隆 「プロデューサーの津村さんに呼ばれてるんです」
阿仁屋優 「いやはや奇遇も奇遇だ。これからも一緒ということか」

途中階でゲイらしきカップルが乗り合わせてきて、二人は沈黙する。

○ 高層ビルのエレベータ内・上り
都心の景色を見渡しながら高層階へと向かう津村美沙。室内には彼女をじろじろ見つめるオヤジがいる。

○ スタッフルーム
話がはずむ円城寺、宮部、柏崎、貝塚、野々村の面々。テーブル上にはそれぞれ改訂稿、ストーリーボード、第一次ロケハン写真、セットのイメージ画が飲食類とともに置かれ、いかにも打ち合わせの真っ最中といった様子。

円城寺満 「じゃあ、もう一度、コンテの頭からいこうか。とくに須田がさまよい歩くシーンは固定観念を捨て、日常なんだけどなぜか違和感を覚える風景だということを忘れないでほしい。何度もいうが、キャメラのテーマは中腰の姿勢だからな」

■ バーガーショップ
すぐ目の前に基地のゲートがある。そこから歩いてきた奥間常文が、カウンターに寄ってトレイを手にしてからテーブルへやってくる。

奥間常文 「姉貴はとっくに死んでるようだぜ。本当かどうかわからねえが、だんなの野郎はフィリピーナと一緒に那覇にいるらしい。兵站係の軍人とちょっとした知り合いなもんで、情報網はけっこう広いのさ。…(ハンバーガーを頬張りながら)これ、本土のものと大違いでボリュームがあるだろ。アメリカ人てのはなんでこんなに大食いなのかね。昔、初めて白人の家に招待されたとき、がん首そろえてステーキをご馳走なったんだけど、こいつらありあまったワラとゴム草履食ってんのかと思ったぜ。ブタよりもすげえって。…同じ人間同士、セックスするのは簡単でも、食事はなかなか真似できねえもんだ。(全部平らげたあと)まあ、たまには食ってみたくなり、いつかは慣れるだろうがね」

○ 撮影所入口
タクシーから降りてくる阿仁屋優と佐久間隆。佐久間が料金を払い、どこかよそよそしい雰囲気が漂う。

○ 映画会社・応接室
窓の外には都心の眺望が広がり、簡素ながら洗練されたデザインの空間。一人で待つ津村美沙は付箋の挟まれた改定稿を開き、手帳に何やら書き込みをしている。が、ノックの音にあわててそれを閉じる。

橋爪祐輔 「まだいらっしゃらないみたいですね。」
津村美沙 「(腕時計を見ながら)作家の方だから、もう少し待ってみましょう」
橋爪祐輔 「私は挨拶できればいいと思ってますからいっこうに構わないんですけど、本当にそれでいいんでしょうか。作品を配給する者として、いや製作委員会の一員として担当者を招集するのはやぶさかじゃないんですが」
津村美沙 「今日は佐久間さんの意向と、脚本に対する意見をお聞きする場だから気を使わなくてもけっこうよ。部屋をお借りしながら申し訳ないんですけど」
橋爪祐輔 「とんでもありません。うまく話が運ぶよう願っておりますよ」
津村美沙 「そうね…」

そこで彼女の携帯電話が鳴りだし、会釈しながらそれを取る。

電話の声 「宮部です。いま、佐久間さんがここに現れて大変なことになってます。美沙さんに呼ばれたと言ってますが、監督と一触即発の状態なんです」

青ざめる津村美沙。

津村美沙 「私はこっちで彼を待ってるのよ。ちょっと替わってもらえる」
電話の声 「ムリですよ。二人で、いや阿仁屋さんを入れて三人でどこかに行っちゃいましたから」
津村美沙 「すぐそっちへ戻るわ。とにかく宮ちゃん、彼をみんなから離して、相手をしてて」

大急ぎで資料をバッグに放り込み、振り返る津村美沙。橋爪祐輔が神妙な面持ちで立っている。

津村美沙 「佐久間さん、本社じゃなく、撮影所へ行っちゃったみたい」

○ 撮影所・某ステージ

円城寺満 「(佐久間の胸倉をつかみながら)よくもそういうことがぬけぬけといえるな」
阿仁屋優 「おい、暴力は止めろ」

ここは他の組のステージ。立て込みも飾り込みも終わっているようだが作業日ではないらしい。セットの裏に円城寺、佐久間、阿仁屋の3人が立っている。

佐久間隆 「ぼくは頼まれたことをやっただけです。あれじゃお客さんにわかりにくいと思ったから提案したんだ。監督の狙いが活きるよう腐心したつもりだし、他者とコミュニケーションできなくてどうするんですか」
円城寺満 「出たよ、その言葉。たいていそれは言い訳にしか過ぎないんだ。コミュニケーションするまえに内省しろよ、引きこもれよ。作家の表現とは、そこからだろ」
阿仁屋優 「二人とも、どうもすれ違ってるような気がするな。嫌なやつだが円城寺の才能を俺は買ってるし、真似はできないけど佐久間の実績は認める。だが、この脚本の問題点はむしろユーモアがない点だ。もちろん皮相的なことをいってるんじゃなく、根源的なものとして感じるんだがね」
円城寺満 「はあっ!?」
佐久間隆 「ええっ!?」
阿仁屋優 「じつは俺なりに直しを入れてみたんだ。(ショルダーバッグを叩きながら)ちょっとそこで見てみないか」

ぐるりとまわると、男の隠れ家風のバーのセットだ。

● 撮影所内食堂(10月9日午後2時)
カメラマン、助監督、スクリプターらに囲まれ、気まずい雰囲気のランチ。食の進まない須田明は席を立ち、ふらふらと食堂を歩きまわり、コックを呼んで厨房の中へ入り、保存庫からワインを出してこっそり飲む。

○ 猛速度のBMW(夕暮れ)
撮影所に向かって急ぐ津村美沙。携帯電話で宮部幹夫と話している。

津村美沙 「まだ見つからないの? 大きなトラブルとならないうちに早くしてね」

○ 撮影所・所内の通路(同)
あちこち駆けまわりながら携帯で話す宮部幹夫。

宮部幹夫 「表には出ていないので所内のどこかにいるはずなんですが…」

○ 撮影所・某ステージ
バーのセットで飲み物もないまま喧々諤々と議論している3人。

円城寺満 「で、このシーンはどういう意味になるんだ」
阿仁屋優 「だからここは伏線になるだろ」
佐久間隆 「そんなに関係づけちゃっていいんですか」
阿仁屋優 「関係じゃない。これは排除だよ」
円城寺満 「じゃあ、そのあとは?」

と、額を寄せ合いながら頁を繰る3人。その背後にそっと現れる津村美沙と宮部幹夫。

津村美沙 「(小さな声で)宮ちゃん、ビールを買ってきてよ」

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