MOVIE workshopリーダーの佐藤信介監督作品第二弾『修羅雪姫』、公開記念リポート!!

佐藤信介氏がcafe@FRANKENでリーダーをはじめて、はや3年。当初はブロックプランという新しいジャンルの確立をめざした短編映画レーベルを立ち上げ積極的に自主作品を撮りつつも、テレビドラマの演出や映画の脚本など幅広く活躍していた。

そんな佐藤氏が29歳になったとき初のメジャー劇場用長編映画『LOVE SONG』の監督をすることに!
その後『MOVIE大学』の出版をはさみつつも、ほとんど休む間もなく2本目の監督映画『修羅雪姫』の監督も決定。(なんと主演は釈由美子のSFアクションだっ)。はたからみていると、なんだかトントンと気持ちよく階段を登ってきているラッキーな人のようにみえるが、実際のところ紆余曲折はあったのだろうか?

MOVIE workshop 読者に送る、佐藤信介はどうやって「映画監督」になったのか?『修羅雪姫』公開記念監督インタビュー。
 









修羅雪姫オフィシャルHP
www.shurayuki.com


主演:伊藤英明
       釈由美子

監督:佐藤信介

テアトル新宿にて
絶賛公開中!




公開記念プレゼント
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応募は締め切りました。

--- 映画監督になれるっていう確信は昔からあったんですか?

佐藤:学生の時から一緒に映画を撮っている河津太郎くん(『修羅雪姫』でも撮影監督)が「とにかく10本撮ろう。10本撮れば絶対映画監督になれるから」って力を込めて何度もいってたんですよ。とにかく撮り続けることに意味があるからって。でも僕はもっと楽観的に10本も撮らなくてもなんとかなるんじゃないかって思ってました(笑)

--- とはいつつ、美大時代に撮った『寮内厳粛』という作品がPFF(ぴあフィルムフェスティバル)でグランプリをとってから『LOVE SONG』でメジャー映画監督デビューするまでに7、8年近くたってますね。

佐藤:明らかに言えるのは PFFで賞をとってすぐ何かになったというわけではないんで。PFFをとってからぼくはすぐ業界に入ったわけではなくて、自主映画を二本、二年間は撮ってましたから。結果的にはそれがあって結構よかったという感じで、今映画監督になってることにつながっていると思うんです。

--- PFFグランプリ後の展開は?たとえば映画館とかどこかを借りて公開したんですか?

佐藤:それも連鎖的でしたね。PFFで賞をとった短篇『寮内厳粛』があるから、次回作を作ればぴあが日比谷シャンテで一回公開させてくれるんですよ。シャンテでPFFのイヴェントがあるから。そのときには次の作品『月島狂奏』っていうのが出来上がってたので上映してもらったんです。そうしたらたくさんの人が来てくれて、結構盛り上がってこの作品も非常にあたたかく迎えられて。
そこで観ていたボックス東中野の支配人がこれを劇場で流したいといってくれて、それを1週間レイトショーでやることになったんです。それを見たテアトル新宿の方が、新作を見たいということになったので、当時完成していた卒業制作『正門前行』を見て頂いたところ、配給を付けてテアトル新宿で異例の自主制作映画4週間レイトショーをやることになったんです。ここまでで二年ですね。
市川準監督の『東京夜曲』の脚本の仕事が来たのも、PFFで来たというよりも、『正門前行』を見てもらってから脚本が書けるかもっていう話になって書いたんで、あそこで受賞で終らずに作り続けたのがよかったなとは思っています。

--- それで大学を卒業した後は映画業界に脚本家としてなんとなく入っていったと。

佐藤:ええ、そんな感じで脚本の仕事が来るようになって、最初はやっぱり脚本を書き続けてとりあえず広げていこうみたいな意味で、来るものは拒まずという感じでやっていたんです。本当にいろんな脚本を書いて、いろいろな人と知り合ったりもしたんだけど、だんだん自分の作品を見て気に入った人と仕事がしたいなと思うようになったんです。『LOVE SONG』の話が来たときははじめ脚本家で参加していました。 その時プロデューサーに自分の作ってきた『月島狂騒』や『正門前行』などの作品を見せたんです。そうしたらこの脚本の監督をしないかっていう話になって、一番早いじゃないですか、自分の世界をわかってくれつつ仕事をもらえるってのが。ぼくはもう何でもいいからとりあえず一本撮りたい。一本撮ったらとにかく二本撮りたいっていう連鎖にしたかったんで、何の迷いもなく、じゃあやりますっていう感じで。

--- そしてメジャー初監督作品『Love Song』を撮り終えてすぐに、本当に連鎖的に今回の『修羅雪姫』に入ってますよね。ただ釈由美子主演のSFアクション映画ってのが、今までの佐藤作品としてはかなり意外な展開だと思いますが、与えられた企画だからやってみるということなのか、実はこれがやりたかったみたいなことなんですか

佐藤:偶然なんだけど、ぼくはやりたかったことだったから、それを声高に言ってた。つまりともかく刀モノでパンツルックで日本でやらなきゃいけないんだっていうのを、何だかしらないけどすごい語ってた(笑)。オレが撮りたいって言ってるんじゃなくて、「日本はそういうものをつくらなきゃダメなんだ!」みたいな(笑)。

―― 日本映画はそこが足りないと思っていたんですか。

佐藤:何でかっていうと、まず香港には香港アクションがある。アメリカは西部劇から来たガンアクションがある。それで日本に何があるかっていうと、時代劇がある。
でも香港のアクションっていうのは、時代劇であろうが現代劇であろうが転用できるわけでしょう、SFであろうが何にだって転用できるし、非常に映像言語になっているわけじゃないですか。日本は刀っていうものがあって、それって西洋の剣じゃないからある一種の映像言語を持ってて、時代劇ではそれが生かされているんだけど、いかんせん紋付に袴の世界に押しとどめられているから開かれないんですよ。
刀っていうのはもちろん現代では使っていないから、非常にそういう意味では使いにくいけれど、でもそんなの別にいいじゃんっていうことにしないと門戸は開かれないと思うんです。だからそういう意味で日本は刀をもっと使わなきゃいけないんだけど、紋付を着てはならんと。時代劇じゃなくて現代劇でジーンズでやらなきゃいかんって(笑)。
そういうのがもし日本でガンガンできたら日本ではそれはヘンだよってなっても、たぶん海外では非常にうれしく受け入れられると思ったんですよ。だから日本の映画を輸出するのであれば、刀をまずやるっていうのが一つあるっていうことを声高に言ってて。

---そういった意味では『修羅雪姫』はぴったりの題材だったんですね。

佐藤:ええ。それにもう一つ、日本はSFがなさすぎるということを声高に言ってたこともあって、やっぱりジャパニメーションを観ているからアメリカ人にとって日本のイメージっていうのは時代劇かSFだと思うんです。
大友克洋だとか作家もいるし、秋葉原のああいうイメージとか、SF的な空間がある、サイバーっぽいところがあるっていうイメージを持ってるわけだから、そういうのに当て込んだ作品がないにしても、じゃあ日本映画って何って言ったら全然SFがないじゃないですか。怪獣が出てくるSFはあるんだけど、怪獣が出ない純粋なSFって、もう『さよなら、ジュピター』ぐらいしか思いつくものがないみたいなところがあって。

―― こうしてお聞きしてみると、学生時代から映画監督になると佐藤さん自身、確信めいたものがあって、実際映画監督になりつつ自分のやりたかったジャンルの仕事もできるって、すばらしい夢の実現ですね。目の前の目標をつかみにいく情熱みたいなものが人一倍強く、自分で目標を決めたらそれを叶えようっていう努力は惜しまないところが佐藤監督を形成してるんですね。

佐藤:実現しないってのが恐いんだろうね。そうならないで『おれも昔は映画撮りたいと思ってたんだよね』とか言ってる40代とか、もうたまらないんだよね、そういうのは(笑)。そういう恐怖に追われているのかもしれないですね。