第I部 そのまえ
PHASE III 「がめつさと夥しさと潔さと」
○ クラシックホール付近
首都高を降り、都心のビルの谷間にやってくるBMW。例によって助手席の円城寺がハンドルを握る津村美沙に毒づいている。

円城寺満 「だいたい、なんでクラシックホールと名のつくところでオーディションをやるんだろうね。この作品はそこでやるような音楽とは縁がないし、山下響子の朗読劇がセットされてるのも腑に落ちない。宣伝イベントとはいえ誤解されるに決まってる」
津村美沙 「見えてきたわ。あれがそう」
円城寺満 「おいおい、ずいぶん立派じゃないか」

車は地下駐車場へと入っていく。

津村美沙 「だって主役のオーディションでしょ」
円城寺満 「といったって、主役という役をやる脇役だろ」

○ 地下駐車場

津村美沙 「(ドアを閉めながら)ねえ、そのケース忘れないで」
円城寺満 「わかってると思うが、主演は監督役をやる須田とプロデューサー役をやる山下響子、そして日比野まりまでだぞ。どう考えてもこれは大げさすぎる」

○ 通路から階段
エレベータではなく階段を上がる津村美沙。

円城寺満 「あれ、エレベータで行かないの」
津村美沙 「すぐ上。急ぐのよ」
円城寺満 「でも俺、このスーツケース持ってんだぜ」

○ 審査員控え室
やっとの思いで部屋に入る円城寺。だれもいない。

津村美沙 「私はこれから打ち合わせがあるから、あなたはここで待ってて」
円城寺満 「そうなの」

彼女が閉じた扉、木目調の壁、豪華な調度を見まわす円城寺。

● 撮影所・メイクルーム(10月9日午後3時)
破れて肌の露わなワンピースを着て、不健康な表情へメイクされる女優。それをじっと観察する須田明。やがてブラシを一つ手にとり、目もとに痣らしきものを作ろうとする。

○ オーディション会場.本番前
山下響子のリハーサルが終わり、マスコミの姿がちらほら。舞台上で次の準備が進められ、オーディション参加者に説明が行われる。ずっと離れた客席からそれを見つめる阿仁屋優。のそのそと円城寺満が近づいてくる。

円城寺満 「いたのか」

と、彼の横に腰を落ち着ける。

阿仁屋優 「仕事だからね」
円城寺満 「これ、ちょっとずれてる感じがしないか。確かに主演俳優というおいしい役かもしれないが、あくまでも助演で、若くて20代後半、それも事務所所属者のみという条件だ。こんな華やかな場はそぐわない」
阿仁屋優 「妙にしおらしいな。集まった男女10人の書類を見せてもらったけど、彼らは風変わりなキャリアの持ち主ばかりで、それなりに辛酸をなめてきているだろう。見てくれもたいしたものだ」
円城寺満 「配給サイドの横ヤリはあったが、そういうのを選んでる」
阿仁屋優 「とすれば、ここは格好の舞台じゃないのか。彼らがどう自分をアピールし、いかに役をつかんでいるか。それをはかり、注文をつけるにはうってつけの場だと思う。山下さんのパフォーマンスもあるわけだし」
円城寺満 「阿仁屋って、モチベーション高めるのがうまいね」
阿仁屋優 「それ、ほめてんのか」
円城寺満 「(前方を眺めながら)でも、プロデュースする側にはべつの思惑がある」
阿仁屋優 「当たり前さ。それを呑み込まずに映画なんてやってられないでしょ」
円城寺満 「俺の気持ちを見抜くのもうまい」
阿仁屋優 「ん?」
円城寺満 「明日からロケハンだ。そして日比野まりに会える」

○ ジャンボジェット機
沖縄上空を飛ぶ飛行機。

○ 基地に面した町
北谷(チャタン)町の古い一軒家の前を動きまわるロケハン隊。宮部、柏崎、貝塚、野々村の面々。円城寺と阿仁屋は近くのワゴン車でタバコを吸っている。

阿仁屋優 「須田明の実家はたしか隣町のコザだろ。沖縄をロケハンするんだったら、ふつうは景勝地に行くか、もっと基地の町としての内実を探るんだがね」
円城寺満 「いまの俺はまったくそれに興味がない。作品のテーマ、登場人物の設定がここにこさせるわけで、それさえ全うしたら充分なんだ」
阿仁屋優 「やけに肩肘張った言い方だな。テーマってなんだよ」
円城寺満 「言わなかったっけ。混じる血と交じる肉、世界を変えるのは純粋さよりも異物が紛れ込んだときだと」
阿仁屋優 「だんだんわかりにくくなる」
円城寺満 「映画も人生も同じだ。今度の映画は、俺にとってフィルムと故郷(くに)へのレクイエムであり、独身生活の総決算。次からはHDで撮るつもりだし、津村美沙とのあいだで子供を作る。そしてリスクを背負い込むむ」
阿仁屋優 「俺はてっきり、日比野まりの存在が重要なモチーフだと思ってた」
円城寺満 「(吸殻を灰皿に捨てながら)次元が低いな、阿仁屋は」
阿仁屋優 「なんだよ、その決め台詞。話は逸れてく一方だっていうのに」
円城寺満 「それそれ、それは重要な命題だ」

■ 公民館
鍵を開け、倉庫と化した古い公民館へと入っていく奥間常文。奥のほうで口笛を鳴らす。

奥間常文 「あった、あった。この映写機がそうだ。ガキのころここで上映会があってさ。あいつの親父がこれをまわしてたんだ。つまんねえ教育映画がほとんどだったけど、ディズニーのアニメとかもときどきやってくれたぜ。俺がよく覚えてるのは、『ピンクパンサー』に出てたあの俳優、そうピーター・セラーズがロンドンで女の子に追いまわされる映画。題名は忘れちまったが、ありゃ面白かったな。…ひょっとしてああいう作品も、あいつの親父が基地からこっそり持ち出してたのかもしれない。あるときからばったりとなくなっちまって、親父が死んだのもそのころだろう。…それにしても懐かしいもんだ。これ、うちで引き取って店に飾ろう」

○ 海辺のレストラン(夕暮れ)
テラスにある卓を囲んだ円城寺、阿仁屋、そしてなぜか津村美沙。拍子抜けしたように海鮮料理に手をやる男たち。

津村美沙 「仕方がないわ、仕事なんだから。私だってわざわざ、いい知らせができたと思ってスケジュールを変更して飛んできたのに、肝心の彼女がいないんだからがっかり」

と、ワインを口にする。

円城寺満 「石垣島での彼女の仕事って、なんなの?」
阿仁屋優 「彼女の特番というのは、どういう内容なんだろう?」
津村美沙 「いっぺんに訊かないでよ。石垣島で彼女は、地元ホテルのポスター撮りが明日まで延びたらしいの。事務所の人によると、沖縄でも彼女は注目されつつあるモデルらしいわ」
円城寺満 「そういう仕事、あまりやらないほうがいいのにな」
津村美沙 「で特番というのは、私たちが仕掛けた話なんだけど、彼女に焦点をあてたいわば若者ドキュメント。その生い立ちから現在、そして『ハックニイド』出演をきっかけにいかに変わっていくかを追うメイキング番組ね。結局、彼女とは対面できないけど、もうすぐ琉球チャンネルのプロデューサーがやってくるはず」
円城寺満 「え、これからかい?」
阿仁屋優 「それって全国放送されるの?」
津村美沙 「当然よ。須田さんも山下さんも顔を出すわけだし、だから即決なったのよ」
円城寺満 「(ビールを飲み干して)俺はこの作品の話がしたい。中身に関わることだけが大切なんだ」
阿仁屋優 「円城寺、みんなそのために働いているんだぞ」
津村美沙 「明日、私は石垣島で彼女に会ってくるけど、夜は必ず連れてくるわ」
円城寺満 「べつに昼間でもいいんだが…」
阿仁屋優 「昼はロケハンがあるだろ」
津村美沙 「そういえば監督、今夜はあなたの部屋に泊めてくださいね」

● 撮影所・ステージ(10月9日午後4時)
ブルーバックによる水中シーンを演出する須田明。ワイヤーで吊られた潜水夫によって、車の中から引き上げられる女性の死体。特機や操演を準備するあいだ、須田はしきりに女優へ寄り添う。

○ バンガロータイプのホテル(夜)
月明かりのなかバンガローに帰ってくる円城寺満と津村美沙。部屋に入ると彼は、書斎でノートパソコンを立ち上げる。彼女はドア口で立ったままだ。

円城寺満 「シャワーでも浴びろよ」
津村美沙 「いいの」
円城寺満 「蒸し暑いな。そこのクーラーを入れてくれ」
津村美沙 「いらないわ」
円城寺満 「(彼女を振り返りつつ)どうしたんだ。俺は製作発表に出ないなんていってないじゃないか。きみがいろいろ切り盛りしてくれることに感謝している。今日のことだって見上げる一方だった」
津村美沙 「ねえ…」
円城寺満 「昨日のオーディションだって素晴らしかった。東京へ帰ったらすぐ二人に会うつもりだ」
津村美沙 「いつまでそうやって話してるの」
円城寺満 「…」

円城寺は黙ったまま歩み寄っていき、彼女の頬をぶつ。床に倒れた彼女を寝室まで引きずっていき、スカートと下着を剥ぐ。

円城寺満 「びっしょりだ」
津村美沙 「あなたも汗びっしょり」

むさぼるように抱き合う二人。

● ロケバス(10月9日午後6時)
カメラマンや助監督とコンテ変更の打合わせをする須田明。そして後部席へ移動し、台詞に直しを入れる。だれかに見られているような気がして顔を上げると、窓ガラスからおのれが睨んでいる。

○ 製作発表会場
都心のホテルで行われた『ハックニイド』記者発表。最後の写真撮影では特大のポスターを背景に、監督の円城寺満をはさんで須田明、山下響子、日比野まり、そしてオーディションで選ばれた鷲尾勇と不破令奈が並ぶ。カメラの放列と瞬くフラッシュ。

記者の声 「じゃあ、今度は俳優さんだけでお願いします」

にこにことその場から離れる円城寺。会場の一隅で阿仁屋優が刷り上ったばかりの決定稿を食い入るように読んでいる。

○ 同.監督控え室
ブランドもののスーツから普段着に着替える円城寺満。そこへ部屋のノック。

円城寺満 「どうぞ」

冷めた表情の阿仁屋優が現れる。

阿仁屋優 「おめでとう。大盛況だった」
円城寺満 「これで一連のセレモニーから解放される」
阿仁屋優 「ところで決定稿、読ませてもらったよ」

と、それをテーブルの上に置く。

円城寺満 「あ、俺はまだ見てないんだ」
阿仁屋優 「今朝刷り上って、届いたばかりだそうだ」
円城寺満 「どう? ぜひ感想を聞いておきたいな」
阿仁屋優 「そのまえに、俺や佐久間の指摘はどこに活かされているんだ」
円城寺満 「クレジットのことかい」
阿仁屋優 「そんなんじゃない。中身の話だ」
円城寺満 「阿仁屋、勘違いするなよ。きみにはいい後押しをしてもらったと思うが、一字一句その通りになるなんてありえない。佐久間はとっくに了解してるし、きみらの指摘は十分に活かされている」
阿仁屋優 「だからそれはどこにある」」
円城寺満 「決まってるだろ。俺の頭の中だよ」
阿仁屋優 「頭の中!?」
円城寺満 「阿仁屋、ここで逃げちゃだめだぞ。今夜は語り明かそう」

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