第I部 そのまえ
PHASE I 「映画、何するものぞ」
○ 現像所
特有の機械音がミニマルっぽい音楽へ変化していくなか、ラボの各工程が切れ目なく、トラックバックによって映画生成の過程をたどるように映し出されていく。

○ 同・ロビー
現像所のどん突きまできて試写室のドアが現れる。試写中のランプがともるかたわら、待合室の灰皿に吸殻の山が築かれている。苛立たしげに揺れる男の手足。

○ 同・ロビーの壁時計
どこにでもありそうな、ごく普通の壁時計が24時(午前0時)をさす。男の呟き声がオフでかぶさる。

阿仁屋優「いったい、いつになったら終わるんだ」

○ タイトル
時計の針と数字が歪むようにくずれ、ファインダーらしき枠の中に『それぞれのすべて』と浮かび上がる。そして同じように紺碧の空へ溶解していく。

■ 養豚場
沖縄県北谷(チャタン)町のはずれにある安っぽい建物。その前でアロハ姿の男がランドクルーザーにもたれて喋りだす。

奥間常文 「高2の秋だったかな。ここにあったアパートが火事になり、第一発見者となったあいつがみんなを助けたのは。幸い、半焼程度ですみ死人は出なかったけど、勇敢な高校生の活躍ということで消防署からも学校からも表彰され、たしか新聞でも取り上げられたはずだ。一時はヒーローだったよ。だが翌月には学校を退学させられ、町を出てった。姉と母親の家族3人とともにね。なんせ、あいつが自分ちに火をつけた張本人だってばれちまい、俺たちはそうじゃないかって薄々疑ってたんだが、周囲がみんな阿呆づらこいて持ち上げたもんだから、反動が大きかったんだろう。あいつはひょうひょうとしてたよ。同級生のあいだじゃ伝説となったけど、その後もあいつとつきあってたのは俺だけだった。…よかったら中に入ってみるかい。ここ、俺んちのもんなんだ、人に任せてるけどね」

○ 沖縄の砂浜
人っ子ひとりいない砂浜で若い女性がまぶしそうに太陽を仰いでいる。タンクトップ姿の彼女はやがて何かに気づいたかのようにカメラに向かって歩きだす。手前に見えてくるのは、砂に埋まりかけたギター、ベース、ドラムセット…。

円城寺満 「カット!」

PVの撮影現場。固唾を呑んで見つめるスタッフ。

円城寺満「どう? いいよね」

うなずくカメラマンの柏崎次郎。

円城寺満「オーケイ!」

彼女は人から離れて波打ち際へいく。

○ モニター画面
浜辺を歩く彼女。その動きがストップモーションとなり、肢体、顔、胸、腰、髪の毛、つま先などがフラッシュバックする。

○ オフライン編集室
大型モニターを見入る女優の山下響子。ファイルを手にした監督が顔を近づける。

円城寺満「この子が噂の日比野まりだ」

テーブルに置かれたプロフィールに目をやる響子。

円城寺満 「今度のヒロイン役にぴったりだと思わないか」

真意を測るようにその横顔を見る響子。

山下響子「あなたのタイプね」
円城寺満「勘違いしちゃいけない。これは映画のなかの話で、そもそも監督の意中の人はプロデューサー役をやるきみだ。女優の先輩として、この企画に大きく関わった共演者の一人として、だからこうして相談してるんだ」
山下響子「ソ・ウ・ダ・ン…」
円城寺満「もしかして、嫉妬してるのか? そりゃ、ないでしょ」
山下響子「もちろんよ。私たちの間は気まぐれ。プロデューサーの津村女史と一緒になるようすすめたのはこの私ですから」
円城寺満「何度もいうけど、現実とあまり混同しないでほしい。これは須田明が監督役を演じるフィクションなんだ」
山下響子 「でも、本当の監督はあなた。今度のホン(脚本)って、狙いとはいえちょっとあざとすぎない?」
円城寺満 「それはきみがコンプレックスから逃れられないせいだろう。映像になればまったく違ってくる。それに、いまは日比野まりの話をしている」
山下響子「もう一度見せて。ところで明くんはなんていってるの?」
円城寺満「(操作卓を操りながら)彼は反対なんかしないさ」

● 撮影所・ステージ内(10月9日午前9時)
非常口から、スタッフが慌しく動きまわる特撮工房のセット裏をまわり、地下室のセットへやってくる山下響子。助監督が目で示した先には、ディレクターズ・チェアに座ったまま、がらくたのクリーチャーに囲まれて酔いつぶれた須田明と床に落ちたウイスキーのボトル。

■ ランドクルーザー
街並みを抜け、海岸道路へと走らせる奥間常文。

奥間常文 「(ときおり助手席へ顔を向けながら)あいつはコザへ引っ越したんだが、家がどこかは知らねえ。そこもすぐにいなくなっちまったようだしな。スナックで働いていた姉貴がアメリカ人の貿易商とできて、それで生活が少しは楽になったと聞いたことはある。…あるとき、電話がかかってきて一緒にバイトしようって言い出し、それが映画の撮影を手伝う仕事だったんだ。演出スタッフなんていってたけど、まあ土方だね。空き地にでかい穴を掘った覚えがある。2人で3日間掘り続けてなんて言われたと思う。もとへ戻せ、止めるのを忘れてただってさ。感動したよ。俺はそれっきりだったが、あいつは撮影隊にずっとついてったんだろう。…死んだ親父が基地で映写技師してたっていうから、映画にはけっこう思い入れがあったのかもしれない。監督になったなんて全然知らなかったな。それって高校中退でもなれんのか」

○ 軽井沢の山道(夜)
別荘へ続く私道の途上で一台の車がゆっくり止まる。かたわらに人が倒れ、車から降りてきた須田明が死体の手から拳銃を抜き取る。目を上げた先に、月明かりに照らされた屋敷が見える。

○ 別荘・裏庭
そっと忍び込んだ須田明が通用口から内部をうかがう。

○ 同・内部
廊下や居間を見てまわり、階段を上って寝室へいく須田明。ドアノブに手をやり、力いっぱい扉を開く。

○ 同・寝室(ステージ)
と、ベッドの上に屠殺された肉の塊がぶらさげられ、下着姿の女性が血だらけで倒れている。思わず駆け寄ろうとした途端、横から頭を殴打される須田明。

円城寺満の声「カット! オーケイだ」
津村美沙の声「お疲れさま!」

撮影所のステージである。スタッフが駆け寄り、下着姿の女性、山下響子がおもむろに起き上がる。須田明はタオルで血のりを拭いている。

円城寺満 「(彼の肩を叩きながら)これできみは上がりだ。短い期間だったが、久々の出演に感謝している」
須田明「(やや困惑しつつ)こんなにシーンを変えて大丈夫ですか。うまくつながりますか」
円城寺満「きみの心配することじゃない。それよりもっとセリフの勉強をしたまえ。じゃないと二度と使わないぞ」

すぐ横で山下響子と抱擁していた津村美沙が割って入る。

津村美沙 「監督は、須田さんのこと買ってるの。自分のイメージをいちばん伝えてくれるのはあなただって。きっとまた、ご一緒するわ」
須田明「ありがとう」

大仰に抱き合う二人。その背後で仲睦まじそうに語り合う監督と響子。

○ スクリーン
同じステージで、カメラ目線で並んだ円城寺満津村美沙

円城寺満「このプロデューサーはまったくすばらしい」
津村美沙「この人はたぶん、フィクションでしか生きられないわ」

頬を寄せ合って笑う二人。

○ 試写室
スクリーンを見つめる円城寺満津村美沙。ロールが終わって室内が明るくなると、彼はいたく創造心を刺激された様子で話し出す。

円城寺満 「俺はこの『お願いだから』できみと出会った。4年前のフッテージだけどちっとも色褪せてなく、この作品がいろいろな意味でターニングポイントだったと思う。最初に見た8年前の『図星』は、これで俺と須田はデビューしたんだけど、誤解だらけの産物で愛に満たされてないのがよくわかる。そんな気がしないかい」

彼女は続けざまの試写にいささかぐったりしている。

津村美沙 「私は初期のころの作品も好きよ。今日の参考試写で、映画界の裏側を描く新作のヒントが見つかればけっこうだけど、あまり批評的にならないでね。ありままのあなたが私は好き」
円城寺満「ありのまま…か。今度の企画『ハックニイド』のテーマに、そういう要素も入れなきゃね」

彼女のうなじを揉むふりをして、そっと唇を近づける円城寺。と、出入口のドアがゆっくり開き、人の影が現れる。振り向く二人。

阿仁屋優「試写はもう終わったって聞いたんだが…」
円城寺満「いまは打ち合わせ中だ」
阿仁屋優「円城寺カントク! 約束の時間をもう2時間以上過ぎている。呼び出したのはそちらのほうだぞ」
円城寺満「映画の密着ルポをやりたいんだろ。今日はそれが生まれる、重要なプロセスだと思うんだがね、阿仁屋センセイ」
津村美沙「いま、お呼びに伺おうとしていました。遅くなってすいません」

監督に目配せしながら、頭を下げる美沙。

円城寺満「(立ち上がりながら)そのとおり。話したいことがたくさんある」

上着からタバコを出し、それをくわえて出入口へ歩く円城寺。

阿仁屋優「おい」

円城寺が顔を上げると、ピストルの銃口が向けられている。じっと睨み合う二人。

○ イメージ
撮影所のがらんどうのステージで、須田明から銃口を向けられる円城寺。まるで須田明と山下響子の間に割り込んだ痴れ者のようだ。火をふく拳銃。
映画館のがらんどうの観客席から、阿仁屋優が立ち上がってスクリーンに拳銃を向ける。駄作に対してとどめを刺すように銃口が火をふく。

○ 試写室
ピストルをはさんで向かい合う二人。やがて阿仁屋が引き金をひき、銃口が火をだす。ピストル式のライターだ。複雑な表情でタバコに火をつける円城寺。

阿仁屋優「その、大切な話とやらを取材させてもらおう」

○ 熱海のリゾートマンション・書斎(深夜)
デスクに向かいうつぶせている円城寺満。周囲に散乱する資料と吸殻の山、そしてピストル式のライター。パソコンは『ハックニイド』改訂稿のファイルが開いたままで、キーボードに腕が触れて警告音が鳴る。

円城寺満 「(寝ぼけ眼で呟く)ありのまま…夢のなかへ…ありふれて…」

● 撮影所・ステージ内(10月9日午前11時)
特撮工房のセットで女体の型取りシーンを指導する須田明。狙っているプランを女優に対しダミーによって説明し、何度も繰り返すうち、首を引きちぎり、皮を剥いでしまう。


○ 熱海のリゾートマンション・キッチン
冷蔵庫からペットボトルを出して水を飲み干す円城寺。

○ 同・寝室
ドアを開けてベッドを確かめるがだれもいない。

○ 同・リビングルーム
砂嵐のテレビ画面。テーブルの上の書類。津村美沙はカットソースーツ姿のまま、ソファに腰掛けて眠っている。

ちらっと書類を眺めた円城寺満はその斜向かいに座る。何も語りかけず、自らの足先を彼女のふくらはぎ、膝うら、太ももへとそわせていく。体をわずかにくねらせ、目覚める美沙。円城寺はそのまま、足先で彼女の全身を愛撫する。

津村美沙 「ファンドのほうはうまくいきそう」
円城寺満「ゆうべ、聞いたよ」
津村美沙「一つだけ注文されたわ」
円城寺満「…」
津村美沙「脚本家の佐久間隆を入れること」
円城寺満「むりだな」
津村美沙「でも…」
円城寺満「あいつがどういうタイプか、知らないのか」
津村美沙「話し合えばわかるわよ」
円城寺満「無知で…、節操がなく…、センスのかけらもなく…、骨抜きにすることが得意な…、プロデューサー連中に最も人気のある作家だ」
津村美沙「なぜ人気があるのかしら」
円城寺満「わかってるだろ」
津村美沙「なぜなの」
円城寺満「それは…、俺みたいな…、こういう…、楽しいことができないからさ」

立ち上がった円城寺は、衣服がはだけ、髪を乱した美沙の口につま先を突っ込む。荒々しく絡む二人。はたから見たら拷問のようだが、二人には至福のときだ。

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