cafe@FRANKEN が応援する映像コンテスト Visual Clip Directors Contest 2003 のキーマンであり、自ら映像製作の黎明期を歩んだ奥山一郎氏に映像製作においての心構えを聞いてみた!物を作るうえで明日からでも役に立つ内容なのでよーく読んでコンテストに応募すべしっ!

tovtori-aka
「TREE」
Visual Clip
Directors
Contest 2003
一次審査通過作品を
チェック!!

――奥山さんはなぜこういったコンテストを企画されたんですか? またご自身は、これまでどのような活動をされてきたんでしょうか?

奥山:以前はずっと音楽物のクリップ制作をしてたんですよ。もう20年くらい前になるかなあ。そのころはタイレル・コーポレーションを立ち上げた中野裕之さんがいた時代ですね。今回の審査員でもある山口保幸など、ビデオアーティストの人たちも沢山いたなあ。そういう人たちが出てきたころだったんですね。
この時代は、映像ではDVE(デジタル・ビデオ・エフェクタ)などが生まれました。映像にさまざまなエフェクトを手軽にかけられるようになって、色んなアプローチが追及されるようになっていきました。
またコンピュータを中心に音楽と映像との融合の試みがされた時代でもあります。YMOとラジカルTV(原田大三郎+庄野晴彦)、立花ハジメといった人たちが、LIVEに巨大スクリーンを持ちこみ、音楽と映像の融合を試みていました。CVIという映像のライブマシンなどユニークなおもちゃが懐かしいです。

奥山註:
フェアライトCVI:オーストラリア、フェアライト社のビデオエフェクター。同社はそれまでCMI(コンピュータ、ミュージック、インストゥルメンツ)というサンプリングマシンが有名で、そのビデオ版がこのCVI。主要機能はペイント、ビデオエフェクト、カラーサイクリング、クロマキー、内蔵マイクによるオーディオとのシンク等など。またパラメーターのほとんどをスライダーで管理していて、シンセっぽい使い心地は最高! 価格も250万円と高嶺の花... 1987年頃が全盛期。

奥山:そういう流れから生まれたイベント"Fuji AV ライブ"に関わったりしました。音楽と映像のクリエイター達がコラボレーションするというイベントだったんです。「PSY・S+中野裕之」とか「くじら+手塚眞」といった人たちが出てたなあ。学生だったテイ・トウワくんも出てましたね。29回続いたそのイベントが終わった頃には、日本でもクリップを創る流れが定着してたと思います。

編註:
このプロジェクトは、86年に設立されたダイエー100%出資の"CSVコーポレーション"によるものと思われる。今となっては想像もつかないが、渋谷公園通りに"CSV渋谷"というレコード屋の様な店があったのです。"Fuji AV ライブ" はカセットやビデオテープ事業を行なっていた富士フィルムが主催したイベント。計29回 (86年2月〜88年6月) 開催された。テイ・トウワはヴォリューム・ユニティとして参加したらしい。

奥山:今あの頃の事を思い返すと、周りには変な奴、凄い奴ばっかりでね。世間から片足踏み外したような人たちばっかりだったけど、そういう人たちって、全体からすると、ほんの一握りだったんですよ。 そういった経験から、今現在を見てみると、誰でもそういう作品を作れるような時代になってる。その状況が持つ意味は、とっても大きい。凄い時代ですよ。だから、こういったコンテストをやる意味があるんじゃないか、と考えています。

――80年代と比べると、確かに今は恵まれていると思います。制作に必要な機材もソフトも手にはいるし、なにより音楽の市場全体がかなり大きくなっている。でも、一方で良い面ばかりではないのではとも思うのですが。

奥山:僕の様な人間から見ると、良いところしか見えないですね。

――というのは?

奥山:編集の仕組みから何から、制作の根本が全く変って新しい世代になってきたという印象ですね。

――具体的には何が大きく異なってました?

奥山:要は、「トライアル・アンド・エラー」が可能になってるということです。そうやって映像が制作できる時代だと思います。僕自身は、制作のツールの問題が大きいと思ってます。
例えば、音楽のクリップを作ったとしましょう。楽曲の指向や、プロモーションの戦略など、いろいろな要素があって、それがクリップの企画・制作の際の制作になるわけです。コンテストの課題みたいなもんですね。 僕の時代、80年代には、それをコンテに落として打ち合わせしていた。いわゆる「紙で企画を仕上げていた」状況だったんですね。

――紙の上で成立していないと企画が通らなかったんですね。

奥山:そう。だからコンテという紙のメディアの中で考えているから、紙のメディアの特性に縛られるわけですよ。
もちろん、それ以外の要素、予算や制作にかかる時間なども昔とは違うし、一方で昔と全然変ってない部分もある。でも、トータルで考えると、映像制作へのアプローチの仕方が格段に幅広くなっているわけでしょう。

――コンテで表現しづらい映像でも、自分があらかじめ実験できるわけですもんね。

奥山:具体的なオーダーが来てなくても、自前の機材とソフトをいじることで実験できる環境があるわけじゃないですか。そこがやっぱり、一番おいしい所じゃないかなあ。
要は楽器を引き込んで自分の世界を創るのに近い感じですよね。映像も楽器みたいに自分でトライアンドエラーができる、これって僕から見ればとんでもないことですよ。

――じゃあ、奥山さんは映像制作の今には、かなり楽観的ですか?

奥山:一方で不安な面については、その自由をどうやって生かすのか、そういった点はあるとおもいます。なんでも出来るようになった、けれど、じゃあ何を創るのか、といった不安はクリエイターなら誰でもあるはずだしね。
技術的な自由と、技術とは別の次元のアイデアの、両方を再認識した上で映像を発想していかなければならないです。

――マウスをクリックする反射的なソフトの操作だけでも映像は作れてしまう時代ですから、自分の頭の中でイメージを練り込んだり反芻したりといった訓練をしなくても、映像がアウトプットできてしまう危険はありますよね。

奥山:まあ、そういった作り方自体がいけない訳ではないですから。音の世界に例えると分かりやすいですけど、打ち込みで創っていく音楽と、演奏して創っていく音楽、この2種類がありますよね。これはそれぞれ違うものですから。
デスクトップで生み出される映像もありますが、現場での撮影やスタッフワークが生む映像もあるわけです。

――事前に、「こういう概念で映像を成立させたい」という構想があってこそ生まれる企画もあるわけですからね。

奥山:80年代のビデオアート黎明期に、すでに色んな実験が行なわれていたんです。あのころの試みって、いま考えてみても面白い。いろんな映像のアイデアを考えて、アイデアから発想していた時代でしたからね。あれから映像の世代は二周りはしている訳ですが、我々は過去に行なわれた実験を糧にする余裕を持てる環境だと思いますよ。

――奥山さんがもし今の時代の、映像を志す20代の若者だったら?

奥山:今は、クリエイターが生みだした映像の感覚を、ちゃんと理解する時代の流れが出来てますよね。

――観る側も目が肥えていますしね。

奥山:そうですよね。 音楽だったら、クラシックの時代から、ドラムやベース、そして電子楽器と時代がどんどん変ってきた。その時代の変わり目がとても面白い。そういう時期は面白いアーティストも出てきている。
おそらく、映像についても現在は変わり目で、そこから新しいアーティストが生まれるだろうと思います。ロックが生まれた時には、それまでとは違う新しい価値観で音楽を創ったわけです。演奏時間の尺度も、音のクォリティも、全く違ったものが成立してしまったわけ。受け取る側も、それまでの常識とは違った感覚で楽しめるわけですね。

――新しい価値の体系ができる、これまでの価値から枝分かれするわけですね。

奥山:そう。「これも面白いじゃないか」と楽しめるようになる。映像についても、その時代の境目がここ数年でまた来ているんじゃないかと思います。
これまでの枠から、ちょっと外れた領域の感覚も、近頃の音楽クリップでは成立しやすくなっているんじゃないかと思いますよ。

――「ビジュアル・クリップ・ディレクターズ コンテスト」は、これで何度目になるんですか?どういう人が応募してるんですか?

奥山:今回で3回目、3年目になりますね。応募者の年齢を見ると、下は17歳くらいから上は50歳を越える年代まで幅は広いですね。でもやっぱり20代前半が一番多いですかね。

――このコンテストでは、モバイルクリップやオリジナルクリップなど、かなり幅を広げていますね。音楽プロモーションという具体的なミッション、課題があるもの以外の映像について、どのようなことを期待してるんですか?

奥山:モバイルクリップって、表現に使うデバイス自体がまず違うでしょ。オリジナルは企画から何から自由でいいよと。どの応募部門にも、今の制作環境を生かした「表現の色味」というのがおそらく出るんだろうと思うんですよ。
オリジナルクリップの部門について言えることがあるとすれば、まず現在は映像制作に関わっている人が増えてきて、人材としては既に余っているという状況がある。もちろん優秀な人は一握りですけど、それでも業界としてはすでに人が多いわけです。
短編の作品集DVDなども多く発売されている状況だから、短編として独立した作品の可能性はかなり大きいとおもっています。オリジナルクリップ部門にはそういった独立性のあるオリジナル作品に期待したいですね。

――今年は去年とは応募部門が若干変りましたし、これまでも毎年少しずつ変ってきていますね。新しいメディアに合わせてコンテストを変えていくという方針なんですか?

奥山:去年と今年では、コンテストのテーマも明らかに違うし、モバイルクリップの様な部門がいきなり出来たりもしますが、おそらく、このコンテストも、そもそもデジタル映像の産業も、今年は新しい世代への過渡期だと思うんですよ。
その分、それだけ間口が広いコンテストだと思ってもらえれば嬉しいんですけど。来年になると、また新しいメディアの出現で新しい部門が出来るかもしれませんしね。
私個人としては、オリジナルクリップ部門の出来が非常に楽しみでして、期待しています。「自立した映像」のアイデアを、どんな視点で作ってくるのか、そこが一番見所だと思いますしね。

――どの部門に応募すればいいか迷っている人に対してアドバイスはありますか?

奥山:一概には言えない事だけれど、自分がどのメディアに一番可能性を感じているのか、それを自分なりに考えて欲しいです。メディアに対する感じ方はそれぞれ違いますし、どの分野が自分の未来に対して開かれているのかは、人によって全く違いますからね。

――これまでの受賞作の中で、特に印象的だった作品はどんなのがありますか?

奥山:第一回めのコンテストで、準グランプリになった作品で、tovtori-akaというグループの「TREE」という作品が印象に残ってますね。アニメーションの作品で、巨大な塔の周りを女の子が走ってる、というだけの映像なんですけど。ただそれだけ、走るだけなんだけど、走りながら女の子が徐々に成長していくんですね。子供から大人に変っていく。普遍的なテーマがしっかり出来ていて、このクリエイターは物語をしっかり描きたいんだな、と感じさせる作品でした。

――なるほど。面白そうですね。

奥山:逆に質問していいですか?、近頃何か気になってる作品や、面白いものってどんなですか?

――うーん、困りましたね(笑)。私は最近、「ドラマ」を気にしてます。TVドラマなどを意味する「ドラマ」ではなくて、劇的な、ドラマツルギーというものです。映画や小説以外の、短編やクリップで「劇的なシチュエーション」を作ることをそろそろ真剣に研究するべきだと思っています。

奥山:そうですよね。どうしてもPVの様な短い尺のメディアでは、生理的な気持ちよさを追求する方にいっちゃいますからね。そういう気持ちよさって、なんども繰り返すと感覚が飽和してしまうんです。普遍的なドラマがないと、短編映像でも「自立した映像」にならないです。
普遍的なドラマというのは、短編を制作する場合にも気に留めておいて欲しい、非常に大きいヒントになると思います。

――網膜に気持ちよい新しい映像を追求することも重要ですけれど、どこかで普遍的なもの、「5年後に見ても飽きてない」部分を考えておきたいですね。

奥山:新しい刺激は、頂点を越えると飽和しちゃうんですよ。すぐに慣れてしまうんです。10分程度の時間の中で、整理的な刺激とドラマを組み合わせて、緊張と弛緩を作るには緻密な設計が必要ですね。

――例えば黒澤映画でも、生理的にグッとくる部分とドラマを構成する部分が上手く組み合わさっているから凄いわけですよね。

奥山:そう、そういう事が10分のメディアでも可能だと思うし、オリジナルクリップ部門は、まさにそういう事の為にある部門です。
そういった作品がこのコンテストから生まれることを期待しています。

-どうもありがとうございました。

(村上 泉)